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絵が下手な素人理系学生が自主制作アニメをつくる もっと探求したいと思い近くの美大予備校へ通う アニメーションを専攻できる大学院試験を受ける←今ここ そんな感じでいろいろと迷走するブログです。 ブログのタイトルが定まっていないのでちょくちょく変わると思います。 よろしくお願いします。
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映画祭の関係で飛騨に行ってまいりました。
ロケハンですね。
背景資料を撮影し、これをもとに背景を描きおこしアニメ作品をつくります。

映画祭の腕章をつけながらのロケハンだったので、街の方が声をかけてくれるんですよ。
それが嬉しかったです。


その後別な映画祭のロケハンで鳥羽にも行ってまいりました。
こちらは難しかったです。
画面としてどうはえるのかわからず、まったく手が動きませんでした。
また後ほどいろいろ書くかもしれません。


そして今日は楽蔵ぴあのさんで行われた自主制作映画ほしぞら上映祭に行ってまいりました。
県内の映画祭の受賞作が上映されるイベントです。
いろんな作品をみることができ、
また、多くの方と素敵な出会いもできました。
こちらも後ほど書きたいな。


とりあえず連休中に30秒のCMをつくらねばいけないので、
そして26日までに3分の短編をつくらねばいけないので、
どちらともアニメーションなので、

いろんなとこほっつき歩いていましたが、そんな余裕も本当はないはずで……

今日の上映をみてだいぶやる気をもらったので、がんばろう。

この前後輩に左腕なんでそんなに黒くなってるんですかと聞かれましたが、
制作中はストレスのせいか左腕の皮膚がガサガサのぼろぼろにはがれおちて、出血するんですよねなんか。
それでどす黒くなっているわけです。

最近怠けすぎていたので、

気合入れねばな。
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驚くことに、ここ何日とかいうレベルじゃなく、制作が止まっておりました。

忙しいというわけでもなく。

ただただどん底に落ちていました。

ODしてみたりなんだり。

ODはあれですね、そのときの気分でやると次の日まで立ち上がれなくなってお釈迦になるから駄目ですね。

しかしやめれないんだなあ……

昨日になってなんとか動きだし、

自己催眠かける音楽流しながら、「目標をセンターに入れてスイッチ、目標をセンターに入れてスイッチ……」のように機械的に作業していたら、半日もせずに6日分のノルマが完了。

しかしなんていうか、だいぶ削るとこ削ってしまったので、犠牲になったものは大きいです。

あとでリテイクかなあ……

この後、9月から作画イン予定の、40秒にわたるみせ場が残っていますが、そこまで8月中にできればアフレコの予定もスムーズになります。

40秒の見せ場は枚数多いですが、今つくっているだらだらした機械的作業の部分と違って、描いていて楽しいので。

しかし9月は大学のことやら受験のことやら夏やり残したことやらいろいろ忙しくなるなあ……
うちのサークルが協賛させていただくことになった映画祭のチケットと案内が届きました。
みると、少年同士の同性愛的な意匠が撮られ、ちょっと前に自主制作映画界を風靡した、片岡翔監督『くらげくん』が上映されます。
私もまだみたことがないのですが、多くの人々を魅了したこの作品を、いつかみてみたいとずっと思っていました。
予告編だけを何回みたことか。ようやく夢がかないそうです。

私をみたほとんどの方は私のことをセクシャルマイノリティの類だと思うでしょう。
初対面の人には性別を間違えられますのでね。
そして恋愛対象も男でも女でもという、いわゆるバイセクシャルです。

そのようなことがあって当然のように、私もセクシャルマイノリティを題材にした作品を制作していたことがありますが、最近、同性愛をカセに使うことはどうなんだろうと、自分の中で疑問符がつくわけです。
同性愛的な作品や撮られている方を非難するわけではありません。
何というか、もっとそれらをとりまく構造に目を向けたときに、自分の中でふに落ちない部分があるのです。

わかりやすく、ゲイやレズビアンなどの同性愛を題材にした作品をあげると、
それだけで完結している映画というか、同性愛は社会的にタブー→つらいね悲しいね、という流れだけで成り立っているような映画はどうかと思うのです。
「カセ」というのは足枷などからきたシナリオの基礎技法の用語です。
二人の愛がテーマなら、短絡的な例ですが、ヒロインを病気にしたり、身分・階級の違いなど、2人を引き裂いてしまう設定をつくるのです。
同性愛であるということを、この「カセ」として使う、それは、「今」がみえていないというか、意匠として短絡的すぎるのではないかと思うわけです。

たぶん、同性愛者であることは、経験上、それほどの苦にはなりません。
しいて言えば、その結果生まれてくる、結婚が認められない、親族の批判、などの周りとの違和が苦になるのでしょうが、まあ私やその周囲をみているとそれもそれほど苦になっていないと思いますが、それを描いているうちは、それが映画の「カセ」として成り立っているうちは、同性愛者の本当の解放はないと思うのです。
その映画をつくることによって、同性愛を「カセ」として成り立たせているのですから、同性愛という枠組みをタブー視する社会の延長上で、それを助長しているようにすら思えるのです。

監督は何を思って同性愛を撮るのでしょう。
同性愛者たちの解放のため?
もしそうであれば、それをつくり、それが同性愛作品として受け入れられているうちは、本当の解放にはつながらないと思うのです。
同性愛がカセとなっている映画をみて、もし共感したとして、それでその方をとりまく環境は変わったのでしょうか。
あるいは、いまではありふれた同性愛のカセを描くことによって、社会に波紋を生むことができるでしょうか。
結局、何も変わらないのでは、という疑念がつきません。

極端に言うと、同性愛が、「カセ」として成り立たなくなるぐらいまで、社会に同性愛というものが常識になって、同性愛を描いたから荘厳であるかのようなそれが無くなるぐらいまでになって、はじめて解放があるのではないでしょうか。

上の物言いについて極端だとは自覚していますが、すると、同性愛というものを題材にして、社会のタブーに触れ、表層ではそれを批判し、内ではタブーに加担し、厳格な雰囲気をまとわせようとするそれは、無批判に同性愛を題材に選ぶことで、あまりにも短絡的すぎる、ということです。

レズビアンやゲイ、セクシャルマイノリティを題材にした作品だけを募集/上映する映画祭はけっこう存在しています。
私はまだ参加したことがありませんが、現状がどのようになっているのかを知っておきたいので、近いうちにそういったイベントに参加したいと思っています。

アニメでは、百合やBLなど、当然のように描写される、あるいは受け手がそういった想像を楽しむ、という形で浸透しています。
アニメや漫画、2次創作の同人誌、それらを受け入れるオタクや腐女子などにおいては、ゲイやレズが当然のように描写されていて、それらをジャンルとして便宜上、百合、BLと呼んでいるにすぎないように思えます。
そこに描かれているのは当然のように行われる同性愛行為で、映画がやる、同性愛だからといってつらくてタブーにふれたような荘厳さは、少ないように思うのです。
もっとも、腐女子の心理として、社会的タブーが行われることに興奮するということは大いにあると思っています。

注目したいのは、同性愛を描いただけのこれらの同人誌やそれをとりまく方々を、801、「や」まなし「お」ちなし「い」みなし、などと自覚的に呼ぶことです。
同性愛を描くことが、山なし、落ちなし、意味なし、として扱われているのです。
そうすると、同性愛を題材にそれを荘厳たらしめているだけの映画というものは、私のような人間からみれば、山も落ちも意味もないわけです。

各種映画祭で実績をつくっている、片岡翔監督『くらげくん』には、それ以上のものを、見出せる気を、みる前から勝手にしています。
私が苦しみながら目標にしている映画祭というものは、そんなものではないはずであることが分かっているからです。

私は、アニメを中心にやっていますが、作品で百合やBLのような表現をするのかというと、それも短絡的だと思っていますので、やらないと思います。
個人的に楽しむことはあっても、映画祭などに出品するような作品では、根本を疑うようなものをつくりたいと思っています。

たぶん、「セクシャルマイノリティのための」映画祭、というものが行われているうちは、まだ、駄目だと思います。
もちろんある時期にはそういったものも必要だと思いますが、最終的には、普通の男女のラブストーリーと同じような具合になっているようなことを、根ざしているものが深すぎて途方がなくても、目指す方が、有益だとすら思います。

これは私の現時点考えうる手段であって、他にも方法はあると思いますが、ようするに、どんな手段でも、セクシャルマイノリティを語っただけで成り立つようなレベルからはいい加減次の段階にすすみましょうよ、ということです。

普通の映画祭なら普通の映画祭で、募集要項の「公序良俗に反するもの」「政治的なもの」という募集禁止の規定が悩ましい限りです。
同性愛を荘厳に描いた実写映画なら、「公序良俗に」反せず、受け入れられるでしょう。
では、アニメで百合やBLを描いたらどうでしょうか。
私は、アニメで同性愛を描く場合、そういった垣根の間をつくようなことを、していきたいと、ぼんやり考えるのですが政治的なものとなってNGになるかもしれません。
名作に、少しも政治的でない映画が、一体どれほどあるでしょうか。

私が作品をつくって映画祭にだすことに今多くの時間を使うのは、映画祭の他の出品作と争いたいわけではなく、そういった構造や制度を成り立たせているそれに、石を投げていきたいわけです。
そうか、

ぼくはしんどかったのだ。

今見えているものを、

一枚一枚はがしていけば、

必ず真理にたどりつくという、

大きな物語にとらわれて、

最後の一枚を、

はがしてみたところで、

きっとそこには、

なにもない。

本当に隠されるべきことは、

なにもない。

秩序に最終的な根拠は、

なにもないということを、

隠すために、

布をまとい、

今日もみんなで、

隠すのだ。

幻想。





だいぶ気が楽になった。

Sさんに感謝。
いろいろと考えていたら絶望して

オーバードーズ、自傷。

それでここ4日間は何もしなかった。

薬を40錠ぐらいのんで、抜けきるまでに丸二日を要した。

男根が、白衣を着ている。

絶対的な立場から患者を、

医学の名のもとに凌辱する。

ぼくには社会というものがむいていない。


つげよしはるの『ねじ式』をみた。

次の作品はこういう方向性にしようと思った。


4日分の制作を、

遅れを取り戻すために血を吐かねば。
不謹慎ですが、2歳児紙オムツ食べていたというニュースを2歳児オッパイ食べていたに空目して、

ぼくは1年のころはそういうアングラな描写のある作品つくりたかったんじゃないのかなあと。

カルト的なものというか。

うーん

ぼくの色恋の話とかかきましたがね。
夏休み中にラブストーリーのアニメつくらなきゃいけないので、ちょっとかいてみたんです。

別におつきあいしてエロいことしたいとかそういうんじゃないんです。
むしろぼくは過去に性犯罪にあって、そのときのトラウマで今の時期、暑い夏でクーラーの無い部屋に住んでいるのに長袖しか着れないです。
つまりは他人に肌がみせれない。
生殖能力もないですし、性欲もないですし、男性恐怖症に至っていますし、自分の男性的な部分を嫌悪するに至ってますし、かといって最近ホモよりかなあなんていうし、性欲嫌悪しても腐女子的なBL妄想は大歓迎ですし、なんかもういろいろとカオスというか気持ち悪すぎてぼくがラブストーリーなんてつくったらどうなるんだか……

まあそんな感じで奇跡的に女の子が奇跡的にぼくに奇跡的に好意を奇跡的によせてくれたとして、生殖能力なかったり性欲なかったりのことを考えると、女の子とはとてもお付き合いできないです。
だってもう同期の人たちの話きくと将来的なこと考える年齢だろうし、そうするとぼくみたいな男はNGだよなあと思いますし、どのタイミングで相手に打ち明ければいいんだか。
そうなると男性恐怖症のくせに男相手が気楽でいいのかなとも思うわけです。
松本ぼんぼんでなんかキックボクシングジムだかなんだかの人に肩触られてそのまま道路の端までつれてかれたんですが、というか要するに邪魔だったのでどかされたんですが、あれとてつもない恐怖ですよねもう。

こういった心境をラブストーリーの作品で活かそうにも共感は得られないだろうし、短編におさまらないだろうし、映画祭の注意書きの「公序良俗に反する作品」に該当してしまうこんな世の中じゃ!ポイズン!

そうそう、というか映画祭のテーマにあわせて適当な話みつくろうより、自分がやりたかったはずの2歳児がおっぱい食べる話とかそういうのやった方がいいのかなあとも思うわけですが、みかえりがないとやってられない性格になってしまったというか、多分結果がでることを急いでいて焦っているんだろうなあ……

とはわかりつつも自分では軌道修正できないです。

いいから作品つくれ!
新作『Place』ということでのせてますが、

タイトル変えるかもなあ。
「の」とかが入ってるとうけるらしい。
いわゆるジブリのタイトルの法則。

制作は難航を極めております。
こうネットの誘惑がね。

最近は卒業した大学の同期が松本にきましたが、あまり会えませんでした。

1年の前期のころ一緒に桃鉄99年やったドラゴンTくんとは電話で話せましたが、

「就活してるー?」
「してないよーははは」
「ああまあ大丈夫だよ」

なるほど大丈夫なのか。
現役教師がいうんだから間違いない。

出来たカットなどネットにアップしたいのですが、コンテストの規約上グレーなのでできません。
相変わらず荒がみえてしまうなあ。
つくるたびに、レベルアップは確実にしてるんですが。
弟にみせたら、「え、どうしたのこれ」と。
急に成長しすぎていて、驚いたらしい。
嬉しい反応。

しかし私は自信作とかつくれたためしがないので。
今回も不満だらけ。
というか自信作とか言える人が理解できないです。
せめてるとかじゃなく、純粋に自分にはない感覚なので。
作品をつくっているときは、そう状態とうつ状態を繰り返すよねーということで元ジブリのもののけ姫のスタッフの方と盛り上がったことがありましたが、
そうやって病的な状態を自分の作品にびくびくおどおど恥ずかしく思いながら乗り越えて、いわゆるクリエイティブ・イルネスというやつですね、それがあってはじめて作品完成にこぎつけますが、まあこれは自慰的に表に出してはいけないことなのでしょう。
しかし私はそうしないとどうも作品をつくれないたちなので。
そうやっていこうと思います。

とりあえず今年の夏の目標は

海にいく
スイカ割り
クワガタとる→コクワ一匹GET!
渓流釣り
お祭り行く→松本ぼんぼん参加
旅に出ます探さないでください

夏といったらそういったイベントでフラグたてて彼女なり彼氏なり出来るという淡い幻想を抱いていた時期もありましたが、
昔「彼女彼氏募集中」とか同期の集まるSNSでいってみたら、そのことについて同期のNねえさんに「最近のBretharianくん気持ち悪い」とご助言をいただいたので、深く心に刻み込みました。
まあ気になる人は人並みにいて、当時のぼくの決死のジャブだったわけですが……
結果いいカウンターもらって自分でも知らないうちにTKOされていたんじゃないかと。

気になるお嬢は、1年のころ講義が終わったあとの講義室でおなか丸出しで机の上で寝ながらだるそうに携帯みていて、その姿にそれなりに厳格な家庭で育ったぼくはショックを受けたわけです。
「ホーリーシット!女の子なのに!なんてラディカルなんだ!パンクすぎるぜひゃっはああああ!」
と、どうもおなか丸出しで机の上で寝ながら携帯みている子が僕のタイプらしい。
その後ジェンダー論にはまっていくわけですが。
そんななかどうしようもなく女の現実的な色を隠せないところがS嬢の魅力。
リアルではちゃんと話せたためしなんてないです、その上みんなとお嬢の前で本人の秘密をばらしてしまうというあほな所業を。
ネットではSNSでコメントしたり出来るんですがね。
リアルだとキョドってしまい女性陣とはうまく話せないです。
彼女いない歴=童て……じゃなかった年齢は伊達じゃないです。
お嬢はぼくというか3次元には興味なさそうですしね。
なんたって私に好かれた方の身にもなってみるともうそれはそれは気持ち悪いだろうしなあ……
気持ち悪いとかいうレベルじゃなくて、ぞっとすると思う。

ぼくはバイを公言していますが、そんなこんなで女性陣とはうまく話せないので、男の子の方が気楽だなあと思うわけです。
最近ホモよりだと思います。

なんてことを思いつつ、日本で同性婚認められていないことに絶望しつつ、いくら稼いだところで税金で持っていかれることに失望しつつ。
だって宮崎駿で年収6000万円だろーなんて思いつつ。
なんとなく、そうだアメリカにいこう!
同性婚は認められているし、アメリカンドリームだ!ハリウッドでデビューして億単位で稼いでやる!
とかね、ばかばかしいですが夏の暑さも手伝って作業中はだんだんと中学生的な思考になっていくんですよ。
そうなってきたら、躁状態に入ってきた合図。
これが進むと、いつのまにか現実にふれてどん底に落ちて腕とか血だらけになってたり幻覚幻聴にさいなまれたり睡眠薬を無意識にのみすぎたのか、いわゆるオーバードーズして意識をうしなって気づいたときには2日後になってるとかそういう状態になります。
で、その波を繰り返しながら制作していくわけです。

一度そう状態になると作業は手につきません。
ネットでどうにかうまいことやれる方法はないかひたすら調べ出すからです。
その結果、いろんな映画祭やコンテストをみつけてきて、
スケジュールが過密になるわけですが……

とりあえずお昼までだな。
あと5時間は作業がんばって、それから画塾に行ってきます。
7月中にアニメのネタあげなければなりません。

8月から1ヶ月かけて3分の作品を制作です。


大学はテストでした。

なんで地質科いるのとみんなに聞かれるぐらいには地質学生として不出来なため、ぼろぼろです。

その前に休み過ぎて駄目です。

別に忙しいとか、アニメが響いてるとかじゃないんです。


最近は漫画描いてます。

本当に下手糞ですが、WEB漫画として自サイトにアップするなり、映研ともう一つ所属している総合芸術サークルの、学内にくばる予定の、新しいフリーペーパー的な会誌にのせるなりするかもしれません。

アニメより楽かと思っていたけれど、とんでもありませんでした。

アニメなんかより数倍うまくいきません。

映研の話です。

純粋な映研ものって『あどりぶシネ倶楽部』ぐらいしか知らないもので。

読んでわかる偏って間違った映画技法というのと、アフタヌーン愛読者なので、四季賞的な、青年期の青青しい感じ、多感な時期の葛藤のようなものを、からめていこうと思っています。

画力は圧倒的に足りませんが、下手なりにやっていきたいです。

アニメとの兼ね合いもありますが……

全体の構成ができて、15話前後に落ち着きそうです。

それでも、毎日描いたとして半年~2年はかかるとおもいます。

短編~中編の実写でいけそうな気もしているので、実写で撮りたい気もしますが、ちょっと一か所だけ女優さんに下着もしくはタンクトップぐらいにはなってほしいところがあって、しかし学生映画なんてそんなことあまりできそうにないので、やっぱり漫画がいいのかなあと。

全体の構成ができてる分、はやく描きたくて仕方がないんですが、体と技術と予定がついてきません。

画塾の時間も増やさなきゃあだしなあ……
『連作「クロッキー」No.1 グレゴヲル』の、映像部分が完成しました。

いわゆるクランクアップというやつです。

編集はおわたので、これからは音響作業になります。

反省点と課題の残る作品でした。


はやくも次の作品の絵コンテ描いてみましたが、筆が止まってしまいます。

イメージが浮かんでこない。

1分作品、7月中にもう一本つくれたらいいなあと思っています。


とりあえずサークルの会誌の表紙とかつくらねば……
先週の画塾は松本で震度5強の地震が起きて、石膏像が半壊したため休みとなりました。
今週は大学の関係で忙しかったのでお休みです。
来週からですね。

7月からは新作つくりはじめました。
1分程度の短編です。
クリスチャン・メッツに代表されるように、映画を言語学的にとらえるやり方を、
吉本隆明の「小説は着飾った服、詩は身体の骨格」というたとえのように、
長編映画を小説、短編映画を詩とみたて、
短編をつくることによって映画文法の骨格を探求していこうという試みです。
なので最近は、言語学や日本語文法、映画記号学や詩学に傾倒しております。
主に構造主義によって発展させられたそれを参照しています。
ここで考えた理論は、これからの自分の制作の土台にしていくつもりです。
考えたことは、facebookの使い道に困っていたところなので、facebookのノートにまとめていこうかなあと思っています。

短編なので数日間でつくれてしまいます。
ブログを書くkように、イメージをメモするように、アニメーションをつくって動画サイトに投稿できたら、素敵だなあと思うのです。

ピカソは、その生涯で大量の絵を残しています。
これが、ピカソの絵をみるときの圧力だと村上隆さんはおっしゃっています。
自主制作アニメは、商業アニメと比べたら動かすことに多大な労力が必要ですし、どうやって圧力をだすかと言ったら、ピカソのように量産するのも一つの手段ではないでしょうか。

アルカンという作曲家が、クロッキーやスケッチと称して、短くて大量の曲を残しています。
また、画塾でもクロッキーをやりました。
これらを活かせないかと考えたところ、
上記のようなコンセプトで、『クロッキー』シリーズと題して、イメージを書き連ねたような1分程度の短編アニメを量産していこう、という試みを思いついたわけです。

7月中はそうやっていきます。
8月からは、コンテストを見据えた3分程度の短編を2本ほどつくっていきます。

クロッキー1枚目は、『グレゴヲル』
今4分の1できたぐらいですかね。

最近は大学の英語論文発表があって制作できてませんが、月曜までの辛抱です。

単位も危ないので、大学のことを優先しつつ、やっていこうと思います。
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